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title おっぱいにさよならする日 後編

おっぱいを心のよりどころにしている私。
しかしもう1歳半、そろそろ卒業してもいい頃です。

「マナちゃん、もうねんねのときおっぱいなくても大丈夫?」とママが聞きました。
私は「ウン、ウン」と素直にうなずきました。

そしてねんねの時間、お布団に寝かされた私は、
いつものように手を伸ばしてママのおっぱいを求めました。
ところがママはおっぱいをくれず、
「マナちゃん、もうおっぱいなしでねんねだよ」と言うのです。
私はとても悲しくなり、「うえーん!!」と泣きました。

それでもママはおっぱいをくれません。
私はどうしていいかわからず、泣きながらママのところに這っていきました。
涙がどんどんどんどんあふれてきて、鼻水としゃっくりも出て、顔は真っ赤です。

ママは私を抱っこしようとしましたが、私は怒ってその手を振り払いました。
でもおっぱいは飲みたいので、またママに近づきます。
ママが手を伸ばすと振り払います。涙は滝のように流れたままです。

涙で顔をパンパンに腫らし、「ママ、ママ」と一生懸命手を伸ばして
ひたすらおっぱいを求める私。

「マナちゃん、もうおっぱいなしでもねんねできるでしょ?」
「マナちゃんもう赤ちゃんじゃないでしょ?」

ママが何を言っても、私には聞こえません。
おっぱいをもらえないという絶望でいっぱいになり、
いつものおりこうな私はどこかへ行ってしまっていたのです。


「うわあああああん!!」


お布団の上に座り込んだまま、とにかく泣くことしかできない私。
ママのおっぱいを飲めないなんて、この世にこれ以上の悲しみがあるでしょうか。
もう顔は涙とよだれでぐちゃぐちゃです。

「マナちゃん…」

ママは困った顔で言いました。
私と向かい合って、ママも少し泣いているのでした。


それから長い時間が過ぎ、私の声が枯れてきた頃、とうとうママは言いました。

「おっぱい飲みたいの?」

私は泣きながら「ウン、ウン」と必死にうなずきました。
そしてようやく、待ちに待ったおっぱいをもらうことができたのです。
フガフガとおっぱいにくらいついた私は、それからほんの数秒で寝てしまいました。


このことがあってから、「やっぱりマナちゃんがいらなくなるまで飲ませる」
ママはあらためて決意したようです。
断乳ではなく、卒乳を待つことにしたのです。

もう夜中もあまり起きないし、出先で欲しがることはないし、ごはんもしっかり食べています。
心配なのは虫歯ですが、母乳そのものが虫歯の原因になるわけではなく、
食べかすなどが残っているとなってしまうそうです。
「おっぱいあげるから歯みがきをちゃんとしようね」と言われた私は、
嫌がらずに歯みがきをするようになりました。

このごろではおっぱいを飲みたくなると胸の前で両手を重ね、
「チョーダ!チョーダ!」とちょうだいのポーズでお願いします。
するとママは私の可愛さに悩殺され、おっぱいをくれるのです。


おっぱいとのつき合い方は人それぞれ。
でも、私にはもう少しだけ必要みたいです。
いつかちゃんとさよならできる日まで、ママのおっぱいを大好きでいさせて下さい。



_DSCF16431.jpeg
 チョーダ!
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title おっぱいにさよならする日 前編

私が生まれて初めて口にしたものは、ママのおっぱいでした。

すぐNICUに搬送されることが決まっていたので、ママが助産婦さんにお願いして
分娩台の上でちょっとだけ抱っこさせてもらったのです。
私はまだ目も開いていませんでしたが、ちゃんとママのおっぱいを探して吸いつきました。
ママは何度も私の頭を撫でてくれました。

それから私はNICUに入院し、ママとは一日に三十分しか会えなくなり、
おっぱいをもらうこともできなくなりました。
同室の他のお母さんたちが赤ちゃんにおっぱいをあげているとき、
ママは私の写真を見ながら一人で搾乳していました。

NICUでは、母乳の細菌検査の結果が出るまで飲ませることができない決まりでした。
小さな赤ちゃんや病気の赤ちゃんにとっては、
ほんの少しの細菌が危険を招くことになりかねないからです。
その間、赤ちゃんに直接授乳することができないばかりでなく、
検査の結果次第では搾乳した母乳も全部捨てなければなりません。
ママはあげられるかどうかわからない母乳を絞り、毎日NICUに持って行きました。

ママがNICUに入るときは、洋服の上に黄色いビニールのエプロンをつけて、
私を抱っこするときは、さらに青いビニールのガウンを着ないといけませんでした。
それでも私にはママのおっぱいの匂いがわかって、ママのおっぱいを飲みたくて、
そのビニールの上から一生懸命吸いつこうとしました。
「マナちゃんごめんね。もうちょっと我慢しようね」とママは言いました。

検査の結果が出るまでの長い一週間がすぎ、ようやく先生のOKが出た日、
私はママのおっぱいをちゃんと覚えていて、上手に吸いつくことができました。
「上手に飲めたね。おりこうさんだね」と看護婦さんたちもほめてくれました。
ママは私を抱っこしたまま泣きました。


それからずっと、私はママのおっぱいを飲んで育ちました。
手術で一日だけ飲めない日があったほかは、毎日数時間おきに欠かさず飲んでいたのです。

しかし私も1歳半になり、おっぱいとのつき合い方を考えなければならなくなってきました。
断乳すべきか悩んでいたママは、私に聞きました。

「もうねんねのときおっぱいなくても大丈夫?」


それからどうなったか…は、次回に続きます。



_IMG_3031.jpg
 近くて遠かったおっぱい

title おっぱい、我が命

もうすぐ1歳半になるというのに、ますますおっぱいへの愛が深まるばかりの私。
ごはんを食べたくない日があっても、おっぱいを飲みたくない日はありません。


私がおっぱいを飲みたくなるとき、それは心の安定が脅かされたときです。
誰かに叱られたり、テーブルにぶつかったり、何か失敗をして笑われたりすると
ナイーブな私は大変傷ついてしまうのです。

そんなとき誰かが抱っこしてくれようとしても、
「ア!ア!!」と鋭く叫んで手を振り払います。
カッコ悪い自分が腹立たしく、優しくされるとよけいみじめな気分になるのです。

誇り高い私の心を溶かしてくれるのは、おっぱいしかありません。
自分でおっぱい椅子と決めているPC用の椅子のところに走っていき、
遠くからママをじっと見つめつつ、椅子をバンバン叩きます。
来てくれないときは、真っ赤な顔をしてママのところにかけ戻り、
無理やりそこまで連れて行きます。


このように私の精神安定剤として欠かせないおっぱい。
「マナちゃん、ごはんいっぱい食べたよ。そんなに飲まなくても大丈夫でしょ?」と
ママは言いますが、私は決して目を合わさず、聞こえないフリをします。

しかし、着実に大人の自覚が芽生えつつある私は、
実はおっぱいを飲むのをちょっと照れくさく思っているのです。
「また飲むの?」といつもみんなに笑われるのが恥ずかしかったのですが、
最近いい方法を思いつきました。

それは、「友達の付き添い」作戦です。

おっぱいを飲みたくなると、ママをPCの椅子にすわらせ、
くまのトントンちゃんやペンギンなどのぬいぐるみを持ってきます。
そしてそのぬいぐるみたちにおっぱいを飲ませるのです。

「私は別にどうでもいいんだけど、この子たちが飲みたいって言うから…」
さりげなさをアピールするこの作戦。
トントンちゃん相手に拒否するわけにはいかないという心理をうまく利用しています。
ママがシャツを下ろす前にすかさず自分も飲む点がポイントです。


大好きなおっぱいのため、こうして涙ぐましい努力を重ねている私。
ママも「いつまで飲ませるの?」という周囲(おばあちゃま)の声に負けず、
いつまでも飲ませてほしいものです。



_DSCF13932.jpeg
 さ、トントンちゃん出番よ!

Appendix

Profile

Author:manachan


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04年9月生まれのマナです。
2歳になりました。

先天性疾患で手術を受け
現在も通院中ですが、
元気に毎日を楽しんでいます。
ママの実家に絶賛居候中。

マナからのごあいさつはこちら

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多忙のためあまり登場しません。
マイペースな年男。

mamamama logo
グウタラ。好きな言葉は自由。
パパよりは年下です。

おじいちゃま…ママの父。
おばあちゃま…ママの母。

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過去の記事はこちらです
みんな神様がきめたこと
('05/9月~'06/2月)


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